「失われた愛を求めて」に寄せて

「失われた愛を求めて」を読んだ。共感のようなもの半分、ここまで書くか?という気持ち半分。

 

この自伝が単純に「良い」ものではないとは何となく前評判で知っていた。ソロアルバムの特典映像などでのインタビューからしても、吉井和哉という人は決して明るい人ではないし、結構暗い内容なのかな、とは思っていた。

予想以上、予想外、だった。これを読んで嫌いになる人もいるのではないかなと思う。でもそれでいいんだろうな、と思った。楽曲の背景やソロでのアルバム制作のエピソードを知ることができたのはすごく良かったし、ソロアルバムはまたよく聴きなおそうと思った。


アーティストの自伝という、まあまあのファンでなければ読まないであろうものを通して自分の人間性を詳らかにするというのは、パブリックイメージ=商品としての自分への好意が信じられなくて恐かったのだろうかと感じた。

詳細に書けば書くほどリスクは上がる。世間一般で汚点とされることを晒せば晒すほど、多分ファンは減る。ロックスターは破天荒、である以前に、プロである以上彼ら自身に商品価値があるから。

そして大衆はそれを買うから。


きっと大衆に何が買われるか、大衆の信ずるところが何なのかはよく知っているのだと思う。けれど人間性への信頼に頼らない、きっと頼れないロックスター。

本当は自分はこういう人間なのに、パブリックイメージ=商品としての自分の像に多大な好意を寄せて熱狂してもらうことに罪悪感があったのだろうか、と。

だからこそ、自伝を読んで離れようと思ったり、嫌いになったりしたファンがいたとしても、吉井さんはそれでいいのだろうなと思った。自分の表面やアーティストとしてだけの自分を好きになってもらって、好きでい続けてもらう、その心苦しさに耐えられなかったのかな、と。


プライベートの細かいことなんて、本来全部隠したままでもいいし、隠すことを責められたりなんてしないものだ。しかも相当昔のことなんて、今更週刊誌や何かに暴露されることもない。それをこうして文章にしたのは、そういうことなのかなあと思った。

 

ニッチな層だけを狙うわけじゃない、売れる曲も作るような、作らなきゃならないような、大衆性のあるテレビスターの苦悩は推し量れない。そして時々その大衆性は、「どこかのロックファン」から批判される。


ずいぶん話が飛ぶけれど、私の好きなバンド、ポルノグラフィティの「TVスター」という曲に「見て見て僕を見ないで僕を」という一節があって、似たようなものがあると思う。見てほしい、聴いてほしい、認めてほしい、でも本当の自分を知られたら一瞬で何も無くなってしまうんじゃないか、全部失うんじゃないかという恐怖。

パブリックイメージの人格の上に成り立ったロックスターの自分は、本当はとても脆いんじゃないかっていうこと。

そして勿論吉井和哉が作った曲にもテレビスターへの風刺がある。「TVのシンガー」。この曲で彼は「TVのシンガーこれが現実 君の夢などこっぱみじんさ 淋しいだろ?そりゃそうさ・・・・・」と歌っている。

「TVのシンガー」になった自身と、実際の自分自身との乖離と、乖離した現実を知ればファンの夢なんてこっぱみじんだ、という皮肉と。

「自分はそんないい人じゃない、優しくもない、理想じゃない、夢見てもらっても本当はなにひとつ応えられない」

どこかでいつもそんなことを思って、思いながらも誰もが憧れるプロのロックスターで居続けようと葛藤していたのだろうか。イエローモンキーほど売れれば、求められるロックスターのイメージも肥大し続けるばかりだったのだろうか。そうして耐えられなくなってしまったのだろうか。

 

「深読みしすぎだ」という話かもしれないけれど、全体に漂う「どうしようもないけどだめだけどこれが自分なんだ」という空気感が辛く悲しかった。吉井さんは過去のエピソードを誤魔化すでもなく美談にするでもなく、むしろ時に自虐的に綴っている。どうだひどい人間だろう、最低な男で、最低な夫で、最低な父親だろう、と。それでもこれが自分なんだ、と。

不器用だ。本当に不器用だ。だって言わなくても良いのに、全部自分で言っちゃうんだもの。

 

他意はないけれど、ごく一般的な円満家庭に育たなかった場合、人の好意を受け取るのが苦手であったり、中途半端に好かれるより嫌ってくれた方がいいと思う人が多い気がする。承認欲求と自己否定を戦わせたまま大人になってしまう人はたくさんいると思うけど。

ソロでの映像作品の特典映像では、サポートミュージシャンに褒められた際に「褒められるの苦手なんだよ!」と反応する吉井さんの姿が収められていた。そのくせ、バンドメンバーがミスをすると子供みたいな言い草で文句を言いつける姿も。


音楽活動全体を通せば、万人に好かれようというスタンスはあまり感じられない。「ありのまま」の歌詞だってたくさんある。絶望的な暗さも、貞操観念を軽んじそうな不真面目さも、ステージで"だけ"のことにすれば、観客からの愛は純粋で大きな憧れにすらなったかもしれない。けれどそんな嫌われそうなことは押し隠した"素敵なロックスター"への愛ならば、受け取りたくはなかったのだろうか。

どんなことも、わたしたちが知らなくていいことも全部、『"すべて"を認めてもらうこと』がこの人の失った愛だったのだろうか。本当は欲しかった、必要だった愛なんだろうか。



「失われた愛を求めて」、吉井和哉の自伝にはこれ以上ないタイトルだった。

私は読んで良かった、とても。

そして読み終わった時に、「トブヨウニ」の一節を思い起こした。

「捨ててしまったもの戻ってこないけれど なくしてしまったものなら急に帰ってくることあるんだぜ」

 

失くしてしまった愛が帰ってくるのを、さみしいロックスターはずっと待っているのかな。